スマホを持ち歩く習慣がなくてレスポンスが遅く、相手に困った思いをさせてしまうことがたまにあります。まあそんなに急ぐ用件はまずないので1日に2, 3度見れば済んでしまうことがほとんどですが。それでもLINEでつながっているグループは30個くらいはあって必要に応じてやり取りをしています。で、そのLINEで相手に表示される私の写真がつい最近まででんろくのピーナッツブロックチョコの包装でした。好きでよく買って食べるので妻が勝手に私のスマホで登録してしまったんです。写真の登録方法がわからないので4, 5年ずっとでんろくで我慢をしていました。で、つい最近やっとやり方がわかってLINEの写真をこれに変えることができたんです。これ、私が大人になってから買った唯一のおもちゃです。あ、いや、ルービックキューブを買ったかな。でもルービックキューブはどこかへやってしまいましたが、これがパソコンの脇でいつも私を見つめています。めでたしめでたし、やっと長年の念願が叶いました。
エレキギターには昔からギブソン、フェンダーというアメリカの二大メーカーというのがあります。私が高校生のときはどちらも高嶺の花で、私も周囲のエレキ少年たちも日本メーカーのコピーモデルを買って弾いていました。ついに憧れのフェンダーを買ったのは大学3年生のときです。大好きなギタリストの愛用するストラトキャスターというモデル、それはもう大興奮でしたね。それ以来友達とバンドをやっていた約10年、もうボロボロになるくらい使いました。で、その後ぷつっと弾かなくなってしまいこみ、音楽活動を再開した55歳のときに引っ張り出したら重たくて抱えられないんです。青春時代の愛機が。ショックでしたね。仕方なく全然違うメーカー、デザインの軽いギターを見つけてきて購入しその後それを使っていました。でもフェンダーのストラトキャスターでしか出せない音というのがあってここ3年くらい「軽いストラト」を探していました。私は左利きなんですが左のギターって極端に少なくて探すのが大変なんです。しかも通販で重さが記載されているものは稀。で、数日前ついについに「軽いストラト」を見つけました。これが私に持てるストラト、3.3キロです。
今月は心がじんわり温まる映画を2本見ました。どちらもとてもよかったんですけど、じんわり度がより濃かったのは上の方かなあ。私の好きなロックミュージシャンのふたり、シーナと鮎川誠、このふたりにこんな物語があったとは。感動のひとときでした。ロックミュージシャンのドキュメンタリー映画というとQueen、特にフレディーマーキュリーを描いたボヘミアンラプソディーが頭に浮かびますが、CD売り上げ枚数とか観客動員数とか比べ物にならない日本人のこのふたりが堂々と映画になって人を感動させるって、本当にすごいと思います。しかも映像が家族とかミュージシャンとか関わりのあった人たちとか、全部本人です。そして何十年も前の映像がばんばん出てきます。監督がいつこのふたりのドキュメンタリーを作ろうと思い、どうやって昔の映像を集めたのか、感動に加えて驚きに満ちた2時間でした。ちなみにボヘミアンラプソディーももちろんよかったんですが、ボヘミアンでもっと感動したのはそれまで映画と言えば1,800円だったのが60歳になって1,100円で見られたことでした。うーん、私の中ではボヘミアンに勝ってるかもしれません。
6時過ぎ頃テレビで今年はアイスの売り上げが過去最高だという話があり、続いてアイスの製造工程の工夫というのが紹介されていました。1つはロッテの「爽」というバニラアイス。細かく砕いた氷をアイスに混ぜてしゃきっとした食感を出しているのだそうです。氷の大きさは夏冬で変えてるんですって。もう1つは森永のチョコモナカジャンボ。モナカとアイスをチョコで隔離してモナカが濡れないようにしてパリパリ感を出すのがミソなのだそうです。昨年まで上下のモナカが合わさるところに隙間があったとのことですが今年はそこにもチョコ隔離がちゃんとできるように工程変更したのだそうです。へー、パーフェクトと感動、無性にチョコモナカジャンボが食べたくなってコンビニへ行って買ってきました。テレビ見た人が殺到して売り切れにならないよう小走りで、です。で、包丁で切ってみると、ホントだ全周チョコで隔離されている。で、噛むとパリパリ。日本のものづくりもまだまだ捨てたものではないなと感心したり、そのもののよさを具体的に示すって、ものすごく説得力があって人を動かす力になるなあと感心したり、です。って、オマエがただ単純おばかなだけじゃないの?
散歩の途中で立ち寄ったあるスーパーで今日はお花まつりだということを知りました。えっ3月3日じゃないの?ってそれは花まつりじゃなくてひなまつり。近くの商店街のさくら祭りももう終わったけどなあってそれも関係ありません。ちゃんと意味があるんですね。4月8日はお釈迦様の誕生日でその日をお花まつりと言って祝うのだそうです。仏教に無知な私ですがスーパーのイートインコーナーに豪勢なお花飾りがあってその上に仏像が置かれ、お供え物が置かれ、賽銭まで置かれているというのに驚き、ちょっと調べてみました。仏教の開祖であるお釈迦様は実在した人で、長い修行の末、主師親という三つの徳を悟ったのだそうです。各々の意味は、主は秩序、師は智慧、親は愛情で、お釈迦様はこの三徳を生きとし生けるものへ授けたいと願われたということです。祭壇の手前には店主名でお花まつりの説明が書かれ、それが「どうか、私たち一人一人の心の中に仏様が誕生し成長し、そして仏様の世界が出来上がりますようにお祈り致しましょう」で締めくくられています。いやはや驚きですね。今日はありがたやありがたやと手を合わせて厳かにカップアイスを食べさせて頂きました。
20年振りくらいで浅草に行ってきました。コロナではありますが外国人も含めてそれなりに人はいましたね。雷門、仲見世、浅草寺境内などあちこちで皆さん写真を撮っていました。レンタル和服を着て雷門の前で記念写真といった外国人もいましたね。人形焼きとかおせんべとか食べ歩けるようなものもあちこちで売っているので、そういうものを食べている写真も記念になりそうですね。この人にとっての浅草のベストショットはどんなかなと想像するのも結構楽しいものです。私にとっての浅草のベストショットはそうしたものとはちょっと違う、これです。こんな自販機初めて見ました。円の自販機ですよ。へー、これは便利で浅草ならではのものだなあと感動しました。外国人はあまり多額の現金を持ち歩く習慣がありませんけど、浅草界隈だと現金しか受け付けないようなお店も少なくないはずです。あっ、円の現金が足りないなあということが結構あるように思います。そんなときにこれさえあれば持っている自国紙幣で円の現金が買えるってわけです。超々高度な国際親善ですよね。これ作った人、ノーベル賞は無理でもイグノーベル賞くらいは取れるんじゃないでしょうか。
今年は南南東ですね。昨夜は1日早いですが恵方巻が作りたくなりまして夕食の準備を買って出ました。1本は「たかさご」という鹿児島の魚のたたきと卵焼きとしいたけとかいわれ大根、1本は豚小間タケノコ油げ炒めとかいわれ大根です。去年、一昨年とご飯の巻き方が緩くてボロボロに崩れてしまいましたが、今年も全く同じボロボロに崩れるやつになりました。3年続けて恵方巻を食べるのにスプーンが要ることになるとは。。。ショック。でも味は結構いい、どっちもいい、今年も。安堵致しました。最近はそこそこ許せるいろんなものが作れるようになってきたように思います。でも量の加減が相変わらずまだわかりません。たくさん余ってしまいまして、今朝タッパに入れて職場に持参しました。鞄の中で偏っちゃいましたがno problemでございます。よく見ると具がはみ出してるように見えますが、ハイその通り、派手にはみ出しております。まあ簡単に言うと具の量が多過ぎるんです。巻きすの中で海苔が1周してもほとんど重なり代がありませんでした。今日は朝と昼に4切れずつ食べて、今夜の節分本番は妻が作った立って手で持って食べられる恵方巻を食べる予定です。
YouTubeにアップしているオリジナル曲「めだかの学校」には子供の頃の思い出として、光化学スモッグとかチクロが出てきます。同じ頃、印象に残っている記憶として、脱脂粉乳だった給食のミルクが、5年生頃からテトラパックの牛乳になったことがあります。牛乳っておいしいなあとものすごく思いました。一方、今思えばテトラパックって何であんな形なんだろうと思います。調べてみると「ロール紙から無駄なく生産するのに適している」とあります。でも「棚への陳列密度が上げられなかったり、専用梱包ケースが要ることが欠点」なんだそうです。「ふーん、どういうことなんだろう」と好奇心がうずき、かつ、しょうもないことを一心不乱にやるたちなので、実際に紙を切って折り曲げて作ってみました。新年早々暫く無になりましたね。そして、ふーん、なあるほどなあ。。。と、感無量になりました。
自画自賛を座右の銘に怪しげな自作短歌を臆することなくときどきブログにアップしていますが、短歌を作ってみようと思ったきっかけはこの文庫本との出会いでした。シロウトさんの短歌投稿で短歌歌人の穂村弘さんが面白いと思ったものを紹介・解説して綴ったものです。俳句・川柳・短歌の類はどれも「その筋のマニア」がセオリーに則って作るような難しいものと思っていましたが、この本の中には「えっ、こんなんでいいの?」がたくさんありました。「ぎんなんを食べて鼻血が出ましたかああ出ましたと智恵子さんは言う」とか「お一人様三点限りと言われても私は二点でピタリと止めた」とか、もう、どうでもいい感が炸裂してるのが満載です。えっ、こんなんでいいの?五七五七七でもないし、とちょっと衝撃でしたね。このどうでもいい感が私の短歌自作のきっかけになりました。ちなみに私の自作短歌のポリシーは「腑抜け感の創出」です。読んだ人がばかばかしくなってまじめに考えるのを、まじめに生きていくのをやめようと思うような短歌を作ることを念頭に置いています。
家が起点の散歩道の一つにある公園に井戸があります。レバーを動かすとちゃんと水が出るんです。井戸で水をくむというか水を出したことなんて何十年振りでしょうか。お母さんと子供がこの公園でこれを見て子供が「おかあさん、これなあに」と質問しても下手したら「いと?いこ?なんだろうね」ということになるかもしれません。井戸端会議という言葉、死語寸前ですかね。主婦などが集まって盛り上がるおしゃべり、といった意味で昔は井戸端に主婦が集まることが多かったことが由来してるようですが、今の主婦に当てはめたらどうなるんでしょうか。マクド会議?スタバ会議?。。。ちょっとインパクト薄いかなあ。そもそもリアルで集まってしゃべることよりLINEでチャットする方がずっと頻繁だったり。「奥様LINEチャット」主婦がLINEのチャットで盛り上がるおしゃべりのこと。昔は同様な言葉として井戸端会議というのがあった。何年か後に広辞苑みたらこんな風に書いてあるかもしれませんね。下手したら広辞苑もWikipediaで見たら以前は紙を綴った辞書と言うものがあった。広辞苑はその代表格だった。なんていう風になっているかもしれませんが。