定年退職したサラリーマンに「これからは悠々自適ですね」と言うことがありますけど、言われて嬉しいと思う人ってどのくらいいるのかなと思ってしまいます。言う方は忙しさから解放されてのんびりできていいですね、といった感じで言うのでしょうが、のんびりできていいねと思うのはほんの数日で、あとは退屈でしょうがないという人の方が圧倒的に多いように思います。私のユウユウジテキはこうありたいと思いますね。仕事を辞めた後は自分らしく遊んで遊んで楽しい日々を送れたらいいなと思っています。
私が日本人のロック系ギタリストで一番好きなのはCharという人です。もうテクニックが超越していてセンスがよくて、この人と渡り合えるギタリストなんか多分いないよな、というくらいすごいギタリストです。緊張感とか近寄り難さみたいな言葉さえ浮かぶようなすごさでしょうか。ところがそんなCharがとことんリラックスして懐を預けているようなギタリストがいて、その人と二人だけのアコースティックギターユニットを組んでいることを最近になって知りました。その人とは石田長生という人です。名前は知っていましたが私の中では特にどうという存在ではありませんでした。ところがそのギターユニットのカラーはCharというよりどちらかというと石田長生のカラーにCharが居心地よく溶け込んでいるという具合です。テクニックやセンスも互角に、渡り合ってはいなくて持ち味を響き合わせています。石田長生ってこんなにすごい人だったんだなと改めて認識しました。で、そのギターユニットの名前がBAHO、ギター馬鹿と阿呆みたいにギターばかり弾いている奴でBAHOなんだそうです。知った時には石田さんは鬼籍に入っていましたが。残念です。
人を罵倒する言葉というのは本当にたくさんありますね。まず、アホ、バカ、間抜けが一番の代表格でしょうか。基本なんにでも使えて罵倒の度合いが言い方によって軽かったり強かったりです。一方、いい加減、ちゃらんぽらん、無責任はその人のやったことがそうなっていることを具体的に批判あるいは罵倒する言葉で、アホ、バカ、間抜けよりシリアス、言われたらちょっとグサッと来るか、あるいは、そんな風に言われる人は言われてもどこ吹く風のような人なのかもしれません。他方、のーたりん、ぽんこつ、がらくた野郎なんかは言う方もちょっとふざけていて、言われた方もにやけながらうるせーバカヤロウといった感じの軽いノリなんでしょうね。で、問題は、とんちんかんとあんぽんたん、漢字だと頓珍漢、安本丹と書くようです。なんでそんなに頓珍漢なんだよ、とか言われたら、おっしゃる通りとしか思えなくて謝るしかないように思いますし、この安本丹!とか言われたら、そうですかと認めて、これも謝るしかないかなと思います。で、この2つの説得力ある罵倒言葉に登場頂きました。オマエ頓珍漢なやつだなとかこの安本丹とか、炎上することは覚悟しております。
書道教室に通い始めてから早いもので9年近くになります。月2回2時間の静かに自分と向き合う貴重な時間です。臨書と言う、何百年も前に中国の書家が書いた文字をできるだけ忠実に真似て書くことをずっとやっています。筆の入り方、力の入れ方抜き方など一文字一文字違っていて、なかなか似たような字は書けません。まあ年々ほんのちょっとましになったかなあくらいの感じで、自由に筆が運べるようになるにはあと30~40年くらいは軽くかかるような気がします。それに私はうまい字が書けるようになりたいという思いは全くなく、筆遣いの自由度を上げていって自分が書きたい文字を書きたいテイストで書けるようになりたいという思いでやっています。こんな感じで、「おどろおどろしい」をすごくおどろおどろしく書きたいといった具合です。他の生徒さんは皆さん毎月の課題を書いて、先生の所属する書院に提出して評価を受け級や段が上がっていきますが私だけはやっていません。先生のところに通う目的がこれ書くことかなんて先生にばれたら、恐らく破門されるに違いありません。本日のブログはリスクのある拡散不可のブログです。
仕事をしているときは表面では冷静さを保ちつつも、自分のやっていることがうまくいくか、どう評価されるかなどに一喜一憂なんていうことがしょっちゅうありました。しかしセカンドライフといったところに入っていくと、多少のことでは動じないとか何があっても驚かないと言えば経験を積んだ大人みたいで聞こえがいいですが、何だか一喜一憂どころか感情の振幅が小さくなって喜怒哀楽を感じる心が薄れて来たかなみたいに思うことがたまにあります。昔は狂喜乱舞なんて大人げないみたいに思っていましたが、今はちょっと狂喜乱舞でもしてみたいなあと思っております。
少し前に、通っている書道教室の作品展示会を、近所のちょっとした会場を借りてやりました。大人10人、高校生2人、小中学生・幼稚園児16人の生徒の作品を並べた展示会です。大人は一人で3つか4つのタイプの異なる作品を書きましたので結構な点数になりました。基本は臨書といって、中国のかなり昔の書家の書いたものを手本にして、その特徴をできるだけ詳細に読み取って同じように書いたり、ある程度自分の書き方を入れるにせよ大方手本に似せて書くのですが、1つだけ自由書といって思うように好きに書いていいというのがありました。それで書いたのがこれです。皆さんどれをとっても自由書もとても上手でこれだけ浮いていましたが、こういうの書くのって楽しいんですよね。
皆さん、金科玉条の本来の意味、ご存じですか。それは最も大切な法律・規則、絶対的なよりどころとなるもの、ということなんですね。私は意味もなく特定の物事にこだわる融通の利かない石頭みたいな意味合いで金科玉条を使うことがありますが、こうした使われ方は一般的ではあっても本来の意味ではなく派生的なものなんですね。宝のように大切な法律である玉条の意味にいつの間にか石頭を揶揄する意味合いが混ざってしまっている、これってまさに玉石混交だなあと思わず笑ってしまいまして、私の四字熟語カップリングシリーズにこの二語を取り上げさせて頂きました。お前の創作書道は石ばっかだなあって、ははは、すみません。
若い頃は彼女に振られたとか、受かると思っていたのに落ちてしまったとか、何かと失望落胆することが多々ありました。仕事なんかはやってもやってもうまくいかず臥薪嘗胆なんていうことの連続でしたね。とにかく「胆」が頻繁に出てくる出てくる。胆力を養わないといけないとよく思い悩みました。ふと思うと、最近もう何年も「胆」には無縁です。お気楽お気楽に飄々と日々を送っていますので。ということで、若い頃を懐かしみながら最近無縁になった「胆」の四字熟語2つに登場して頂きました。
家の近くにある書道教室に通い始めて8年になります。がさつで落ち着きない私が静かに自分に向き合う月2回の貴重な時間です。昨日、今年初めての書道教室に行ってきました。いつもの席に座ると目の前に色紙が置いてあります。そうだ、年の初めの教室で色紙に今年の抱負とか大切にしたい言葉とかを書くのが恒例になっていたのでした。しまった、何も考えて来なかったと色紙を前に頭が真っ白です。他の生徒さんたちは健康第一とか愛とか世界平和とか書く字を決めて練習を始めています。私はまだうーん困ったなあ状態でしたが、次の瞬間、頭の中にこれが浮かんできました。そうだ、オレの行動指針はこれだ、これを書初めとして書いて机の上に貼っておけばこの1年振れずに行動できるぞ、と妙に納得して書いたのがこれです。いつも行く土曜日の午前中の生徒さんたちは私がどんなやつだか知っているのでああまたかと驚きませんが、今年は午前中が歯医者で午後にしまして、皆さん初対面で、ちょっと絶句してたみたいでした。新年早々、申し訳ありませんでした。
奇想天外な創作書道もどきを書いては有頂天外になっている、まさにこの2つの四字熟語は私のためにあるようなものだなあと思います。奇想天外というより奇妙とか、きもいと思われている方が多いのかもしれませんが、私の最近の座右の銘は自画自賛でして、飄々お気楽じじいを目指して日々going my wayを続けております。